イノベーションと共創を実現するためのエクスペリエンスの条件とリーダーシップ

篠原 稔和
2017年4月6日

IBMのデザイン思考による変革:よいデザインだけではもはや充分ではない

フィル・ギルバート氏のポートレート写真
フィル・ギルバート氏

2017年4月下旬に、エクスペリエンスデザインの世界的リーダーで、IBM Design ゼネラル・マネジャーのフィル・ギルバート氏(Phil Gilbert)をお迎えして、イベント「ソシオメディア UX戦略フォーラム 2017 Spring」を開催する。同氏にご登壇いただくキーノートのタイトルは、「よいデザインだけではもはや充分ではない:差別化のためのデザインを目指して(Good design isn’t good enough anymore: designing for differentiation)」。このタイトルが、かつてIBMを絶対的な地位へと導いた名経営者トーマス・J・ワトソン・ジュニアによる名言「よいデザインがよいビジネスである(Good design is Good Business – 優れたデザインがあってこそより強固な企業ブランドが築かれることの意)」を意識してのものであることは容易に想像ができる。現在、同社はデザインに対する考え方においても、ダイナミックに変革を遂げようとしているのだ。

ギルバート氏の人となりについては、New York Times 誌の記事「IBM’s Design-Centered Strategy to Set Free the Squares(「IBMのデザイン中心戦略が「時代遅れ」を取り除く」、2015年11月)」に詳しい。記事によれば同氏は「頭を剃り上げ、ワイヤー縁のメガネをかけた背の高い男性だ。いつもカウボーイ・ブーツと青のジーンズで出社する。見かけはカジュアルの彼だが、実はIBMの重役だ。彼のオフィスには若きボブ・ディランが「Highway 61 Revisited」の楽譜を書き換えている白黒写真が飾られている」そうだ。そして、それは「反抗精神と勤勉の両方を象徴している」とも自らが語っている。

ギルバート氏は、1978年にオクラホマ大学のトップ10として卒業した後に、エンジニアとしてのキャリアを重ねた後、ソフトウェア企業 Lombardi Software 社を起業する。同社において、ソフトウェアを迅速に開発してより良くしていくための手段として、IDEO 社のデビット・ケリー(David Kelly)氏によるデザイン原則に出会い、それを学んで取り入れるようになる。2010年にIBMによる Lombardi Software 社の買収にともなってIBMに参画、2012年にジニー・ロメッティ(Ginni Rommety)氏がCEOに就任。彼女のリーダーシップの下で、IBMの顧客のエクスペリエンスにおける「再思考、そして再想像する(to rethink and reimagine)」という動きが繰り広げ始められるようになって、同CEOとギルバート氏とのパートナーシップ関係が始まることになる。こうした企業経営者とUXリーダーとの良好なパートナーシップの有り様は、デザイン主導で成功した代表的な組織であるAppleの故スティーブ・ジョブス氏とジョナサン・アイブ氏との関係にも匹敵すると言われている(参考:「UXリーダーシップの未来は急進的な変革にあり – 組織においてUXをどのように位置付けて成功に導くか」、UXmatters、2014.10)。

ギルバート氏が進める「IBMデザインプログラム」は、大きく2つの原則に基づいている。

1つは、正式なトレーニングを受けたデザイナーをこれまでに前例のない規模でIBMに迎え入れることである。2016年中頃までに1,000人以上のデザイナーが新しく加わっている。

もう1つは、同社の社員を、「デザイン思考」や「アジャイル」のスキルを持ったグローバル人材に再教育することにある。2017年末までに10万人以上の「Design Thinker(デザイン思考の実践者)」を養成する見通しとなっている。同社の従業員は37万人強、その約4分の1を超える規模にのぼる教育活動となっている。

米 Harvard Business Review 誌(Sep 2015 表紙)
米 Harvard Business Review 誌(Sep 2015 表紙)

そもそも、IBMによって「デザインの重要性」が唱えられたのは1950年代に遡る。当時のIBMが提唱するデザインは「目に美しく、機能的な製品」という意図だった。しかし、現在同社が提唱する「デザイン」には、もっと広範な目的を持つ意味が込められている。仕事をより迅速に進めること、より生産的に進める方策を探ること、そして「ユーザーのニーズ」から課題をみつけ、そのニーズを探求して素早くプロトタイプを創り出すこと、などが意図されている。これがまさに「Design Thinker」に求められるスキルセットなのである。

こういった傾向は、米国企業の間では既に大きなうねりとなっていて、デザインはもはや製品開発やサービス開発だけでなく、あらゆる戦略や意志決定を導くビジネスリーダーにとっての基礎素養であるとされている。デザインのエキスパートは、ベンチャー企業や新規事業分野のみならず、あらゆる企業や業界、さらにはベンチャーキャピタル企業でさえ採用されるような勢いだ。

こうした兆候は、2015年9月の米 Harvard Business Review 誌の “The Evolution of Design Thinking.” (日本語:「デザイン思考の進化」、ハーバードビジネスレビュー日本版、2016年4月号)の特集が出されたことに象徴的に見られた。

また昨年5月に来日した米GEのCXO(当時)のグレッグ・ペトロフ氏の講演が与えた衝撃も記憶に新しい。(参考:『世界を牽引するUXリーダーの実像』、2016年12月)。

イノベーションや共創を実現するためのエクスペリエンス3つのポイント

イノベーション&共創を実現するためのエクスペリエンスの条件。1. 共創のための場の存在: プレゼンテーション型ではなく共創型の施設。社内(研究者)間の共創からパートナー・クライアント・ユーザー/顧客との共創へ。共感者/賛同者を増やすための場作り。2. 伝道師としての役割: デザイン思考や働き方改革のためのファシリテーターとしての役割。ユーザー/顧客との垣根、組織間の垣根を壊すためのスキル。UXスキルはリーダーシップのための基礎スキル。3. デザインプラットフォームの整備: 関係者が日常的に使うためのデザイン言語。仕事のルール、ワークスタイルの基本としてのデザインメソッド。生産性を向上させるためのフレームワーク&プラットフォーム。

米GEでは、IoTといった新市場に対して、UXに関わる人材やリソースが3つの観点からコミットしてきている事実がある。

1つめは、そのもの自体がデザインの効用を証明する役割を担う「デザインプラットフォームの整備」である。同社では、産業用OS「Predix」の開発と普及に向け、UX人材たちが「Predix」に関わるインタラクションデザインのパターンやUX実現のためのフレームワーク、UXツール群を開発・整備してきた。これが、同社にエクスペリエンスを実現するためのいわば「デザイン言語」としての機能を果たしていて、社内メンバーやパートナー企業がIoTに関わるエクスペリエンスのソリューションに携わる際には、こういったデザイン言語やツール群を「使うこと」によって、魅力ある体験や生産性を向上させるシステムやサービスを創り出すことを容易にしている。

2つめは、デジタル時代のワークスタイル手法である「FastWorks」やイノベーション人材としての基礎素養である「デザイン思考」に関する、社内の「伝道師としての役割」である。同社のUXの専門家たちは、ワークショップや会議におけるファシリテーター役や、ファシリテーター養成のための教育者として、同社の変革に深くコミットしてきている。

そして3つめは、上記の意識変革を促すための環境となる「フューチャーセンター」としての機能、すなわち「共創のための場の存在」である。同社のカリフォルニア州サンラモンにある「デザインセンター」は、短期間で新しいものを生み出すことやさまざまな立場の違いを超えた「共創(コ・クリエーション)」を行うための場として、今やGEの変革を実現する聖地となっている。

実はこれらの3つの特徴と同様のものを、IBMでも確認することができる。

まず、1つめの「デザインプラットフォームの整備」の役割を果たしているものとして「Bluemix」がある。Bluemix は、同社のクラウド・アプリケーションを開発するためのソフトウェア・ツールキットであり、アプリを作るためのソフトウェア・プラットフォームでもある。Bluemix は同社のデザイン思考の成功例としても紹介されることが多くなってきている。なぜなら、Bluemix そのものが、若いプログラマー達の開発プロセスの現場をリサーチすることから始まって、早期のプロトタイプ開発とユーザーテストの繰り返しを経てリリースされてきたものだからである。

2つめの「伝道師としての役割」は、先にあげた通り、全社員の4分の1を超える10万人規模のデザインシンカーの養成が大きなミッションとなっている様子からも明らかである。

そして3つめの「共創のための場の存在」についても、企業文化を改革するための実験室ともいわれる各種の設備に見ることができる。たとえば、オースティンのIBMキャンパスの建物内にあるデザインスタジオ等を筆頭に、全世界の拠点に共創のための空間(Design Studio、IBM Innovation Centers)が展開されている。

これらの3つの観点については、昨今の国内企業においても、急激にその活動が深まりつつある。特に、国内を代表する企業では「オープンイノベーション」や「共創(協創)」といったかけ声の下に、事業プロジェクトへのデザイナーたちの参画が急激に増加している。たとえば、日立製作所では、2015年4月に旧来の「デザイン本部」から国内の研究所や海外研究拠点を組み替えて出来た「社会イノベーション共創センタ」において、サービスデザインやエスノグラフィ、デザイン思考などを駆使した顧客との協創アプローチとしての方法論(顧客協創方法論「NEXPERIENCE」)が整備され、100人を超えるデザイナー達が各種のワークショップや会合で役割を発揮してきている。また、共創(協創)のための空間としては、日立製作所における「顧客協創空間(東京・赤坂)」の他、パナソニックにおける共創空間の取組みである「Wonder LAB Osaka(大阪・門真市)」、富士通デザインにおける共創空間の取り組みである「HAB-YU platform(東京・六本木)」や富士通の「FUJITSU Digital Transformation Center(東京・浜松町)」など、次々と同様の目的を持った空間が生まれてきている。