アナーキー・イン・ザ・UX

上野 学

2016年12月26日
この記事は、2016年12月16日に開催した「フリー ユア UX 2016」における同タイトルのオープニングトークをもとにしています。

2015年末に行ったイベント「UX まとめ」では、「UX」という言葉が世間でどのような意味で用いられているのかを考察しました。その最後にこのようなスライドをお見せしました。

この図では、UXというものはデザインの種類を表すものではなく、人が人工物とインタラクトする際に人の側で生じる主観であるということを説明しています。

人工物、つまり人が何かの意図を持って作ったものは、すべてデザインされています。人工物を「アーティファクト」と言いますが、ではアートとデザインはどのような関係にあるのでしょうか。

アートとデザインの関係については色々な言い方がされています。例えば、「アートは感性的でデザインは論理的だ」とか、「アートは問題提起でデザインは問題解決だ」といったことです。しかしそのような捉え方は少し軽率だと思います。

辞書で Art の語感について調べてみると、「人の創造力と想像力によって生み出されるもの」といった意味合いであることがわかります。また Design について調べてみると、「行為や物などにまつわる意図や計画」といった意味合いであることがわかります。両者は対照されるものというよりも、同じ観念の中でつながっているようです。

アートという言葉のニュアンスは日本語にしにくいと言われていますが、例えばアメリカの大学などではよく「アート&サイエンス」という言葉が使われます。このアートは「芸術」の意味ではなく「人文科学」の意味になり、サイエンスが意味する「自然科学」と対になっています。つまりアートは「人の所産」であり、サイエンスは「自然の所産」を意味します。欧米の世界観として自然(Nature)は神が作ったものです。

では Design は「アート」と「サイエンス」のどちらに含まれるのかというと、例えばオックスフォード辞典の用例では、”pottery with a lovely blue and white design(かわいい青と白のデザインの陶器)” や “the appearance of design in the universe(宇宙におけるデザインの存在)” などと書かれており、人と自然の両方についてデザインという言葉を用いることができるようです。だからデザインは、アートとサイエンスの両者を貫く、構造物に対する普遍的な美的価値を表す概念ではないかと思います。

デザインとは何かを考えるために、少し話を変えますが、ここにりんごがあるとします。

あなたは一人暮らしを始めたばかりの若者で、キッチンにはまだ調理道具が何もありません。あなたはりんごの皮をむきたいのですが、素手ではむけませんから、何かりんごの皮をむくための道具を買いにいくことにしました。

調理器具売り場に行くと、まずピーラーが目にとまりました。これがあればりんごの皮をむくことができるでしょう。

店内をもう少し見ていると、このようなりんご皮むき機がありました。これを使えば、もっと簡単に、素早く、きれいに、りんごの皮をむけそうです。しかしワンルームの狭いキッチンに置くには少々かさばりそうです。

さらに見ていると、このような果物ナイフがありました。包丁を使うのには慣れていないので、これでりんごがうまくむけるか少し不安です。

さて、あなたは、三つのうちのどれを買うでしょうか。

この選択では、あなたが道具に対してどのような役割を期待しているかが現れると思います。

このユーザーコンテクストにおいてユーザーは、何らかの方法でりんごの皮をむこうとしています。コンテクストに対してそれぞれの道具が果たす役割は次のようになります。

ピーラーは野菜や果物の皮をむくためにデザインされており、りんごの皮をむくのにも役立ちます。ユーザーのコンテクスト全体のうち、この四角の部分程度をサポートしているとします。

りんご皮むき機は、りんごの皮をむくことに特化した専用道具であり、ピーラーよりもコンテクストに対して多くをサポートします。しかしその反面、この道具は大仰で場所をとりますし、何より、りんごの皮をむくことぐらいにしか役立たないという意味で、一人暮らしのキッチンに置くには存在バランスが悪いかもしれません。

果物ナイフは、皮むきに特化した道具ではありませんから、コンテクストに対するサポート度合いは一番小さいでしょう。使いこなすにはそれなりの技術も必要です。

しかし果物ナイフは道具としての別の意味を持っています。りんごの皮をむくだけでなく皮をむいた後に切り分けるのにも使えますし、さらに、果物以外の様々な具材に対して様々な用途に使うことができます。その用途はユーザー次第です。果物ナイフは様々なコンテクストの中で役割を発揮できます。

りんご皮むき機が「りんごの皮をむく」という特定のコンテクストをもとに作られた道具であるのとは対照的に、果物ナイフはコンテクストを特定していません。もしユーザーの生活環境の中で「りんごの皮をむく」というコンテクストが失われれば、りんご皮むき機はその存在意義が失われますが、果物ナイフの存在意義は失われません。その意味で、りんご皮むき機はより「モーダル」な道具であり、果物ナイフはより「モードレス」な道具です。

このように道具の汎用性と合目的性は反比例します。そのため新しく製品を企画する際には、市場におけるポジショニングをよく検討しなければなりません。

りんご皮むき機のようなモーダルな道具が作られる背景には、特定のユーザーコンテクストから商品を発想するという思考があります。皮がむかれたりんごのイメージがゴールとしてあり、それに対して人ができることがあり、その差分が道具に求められる機能であるという発想です。

一方モードレスな道具が作られる背景には、皮がむかれたりんごを得るためにどのような作用が必要なのか、人がその作用を操るにはどのような性質が道具に求められるのか、といった抽象化がなされています。

皮がむかれたりんごを得るには、例えば、相当の鋭利さ、硬さ、手での扱いやすさといった性質が必要であり、そのような性質を備えた道具があれば、様々な場面で役に立つということが予想できます。

モードレスな道具は、それが何に役立つのかを、ユーザー側が考えることになります。ユーザーはその道具の性質を理解し、自分が持つ様々なコンテクストに照らして、道具がサポートできる場面を見つけるのです。

ユーザーが自ら道具の使い道を発見するということは、道具がユーザーに対して新たな行動や価値観を与えるということです。道具は、ユーザーの要求を満たすためにデザインされながらも、それを使うことでユーザー自身を変えてしまうという力を持っているのです。

人と道具の関係について、アラン・ケイはこのように言っています:

人間は道具を作った動物ではあるが、道具の使い方を学ぶことが私たち自身を変える、という点に道具と人間の本質があることを意味している。

また、Mac の初期のガイドラインにはこのようなことが書かれています:

コンピュータの設計と人間の活動は互いに影響し合いながら発展するものだと考える必要があります。

これらが示唆している価値観では、人と道具は相互に作用して発展するものであり、そのスパイラルを作り出すことが人工物におけるデザインの役割であると言えるでしょう。そう考えると、今日多くのデザイナーが考えている「ユーザー中心」のアプローチはどこか独善的であるかもしれません。

「ユーザー中心のデザイン」とか「ユーザーフレンドリーなデザイン」といったことを言う時、多くの人が考えるのは、ユーザーのコンテクスト(やりたいことや状況)を特定し、それを代行する仕組みを提供することではないでしょうか。これはユーザーの要求をタスクとして手順化する発想です。

しかし実際には、ユーザーのコンテクストは様々であり、デザインの手がかりとしてはっきりと特定するのは困難です。あるユーザーのコンテクストに最適化された手順は他のユーザーにとっては不便なものとなり、ユーザーが増えるほど、システムの「ユーザーフレンドリー度合い」は下がってしまいます。

そのような、ユーザーの個別のコンテクストを重視しすぎることの問題について、ジェフ・ラスキンはこう言っています:

作業に対するニーズというものがユーザー毎に異なっているとしても、ユーザー集団は多くの一般的な心理属性を共有しているのです。

つまり、個別性の強いユーザーコンテクストを特定することよりも、ユーザー集団が共通して持っている性質、たとえば人としての一般的な認知特性や身体特性などに基づいたデザインパターン(オブジェクトベースのUIモデリングなど)を活用することが重要だとしています。

ですから、本当にユーザーフレンドリーな道具とは、個別のコンテクストに合わせた手順ではなく、様々なコンテクストに対して一貫して作用する「原理」を備えたものであると言えます。この原理は一般的な人の特性に基づいているので、汎用性や応用性があり、ユーザーは自らの行動を多少変えてでも、その道具と共に達成するゴールを最大化していくのです。

極端に言えば、ユーザー中心のデザインとは、「ユーザーに合わせたデザイン」ではなく、「ユーザーが自らを合わせることができるデザイン」、つまりユーザーが自らデザインと協調して結果を最大化していけるだけの、シンプルで論理的な原理を備えたデザインのことだろうと思います。

そのような道具は、それを使うユーザーに新しい質的な価値を与え、ユーザーの行動を変化させます。

果物ナイフは、ユーザーにある程度のスキルを要求します。ユーザーは果物ナイフを使いこなすためにしばらく訓練しなければならないでしょう。しかしそれを使えるようになったユーザーには、単にりんごの皮がむけるということ以上の変化が起こるはずです。例えば他の食材も自在に切ることができるようになり、料理を作ることの喜びを覚えたり、家事や健康に対する新たな価値観を得るなどです。ひとつの道具が、ユーザーの生活や仕事の質を向上させ、視野を広げ、世界をより豊かなものにできるのです。

ベネディクト・エヴァンスはこう言っています:

道具はまず仕事に合わせて作られるが、やがて仕事の方を変えてしまう。

例えばタイプライターの時代には、紙の書類を作成して受けわたすことが組織における情報伝達と意思決定の手段でした。コンピュータが発明されると、その作業を画面の中で行うために MS Office やメールが用いられるようになりましたが、仕事の本質はタイプライターの時代と変わりませんでした。ところがコンピュータとネットワークが十分に普及し、人々がその上で様々な活動をするようになると、仕事の仕方が変わってきました。すなわち、Slack のようなグループチャットなどを使いながら、リアルタイムに情報や進捗を共有し、ディスカッションし、成果を管理するようになったのです。それまでの、「仕事の道具 = 事務手続きのための道具」という価値観から、「仕事の道具 = 効率よく試行錯誤し結果を出すための道具」という価値観に変化しはじめたのだと言うことです。

そのように、人と道具の相互発展スパイラルを作り出すには、あるユーザーの欲求を単に機能として手順化するだけでなく、その手順が示唆している本来的な原理を導き出し、その原理をもとにデザインしていく必要があります。抽象的な欲求から具体的な手順を作ったら、もう一度それを原理として抽象化し、そこからデザインとして再び具現化するという流れです。

フィリップ・ヴァン・アレンは、「デザインは問題に対する解決策であり、アートは問題に対する問いである」という説に対して、次のように反論しています:

私にとって、よいデザインとは新たな問いを生じさせるものだ。もしデザイナーが単に問題を解決するだけなら、最もありきたりのレベルで機能する物ばかりが作られ、我々はデザインと文化の力を弱めてしまうだろう。(中略)

特に我々がインタラクティブデザインについて考える時、最高のゴールは、予め決められた問題を解決することでも、素晴らしい体験を作ることでもなく、人々に彼等自身の意味空間を創造する力を与えることだろう。

昨今のデザイナーが「UXデザインのノウハウ」「良いUXとは」「UXの実践」といったテーマで語っているものを読むと、それらの多くが、「いかにりんご皮むき機を作るか」という価値観に依っているように思われるのです。このベクトルは、デザインというものを、事業主の短期的な収益や顧客の即物的な要求に応えるだけの請負作業に矮小化してしまう恐れがあります。

デザイナー、特に人が何かの目的のために使う道具を作っているデザイナーは、その活動が文化や社会の発展を促す綿々としたスパイラルの原動力であり、人を人たらしめているアートそのものであるということを、意識してほしいと思っています。