読書体験のクラウド化

川添 歩
2009年6月10日

アマゾンが Kindle の発売によって実現したのは「持ち歩ける電子書籍」です。
しかし実はそれよりもはるかに重要なのが、同時に行った「本のクラウド化」です。

Kindle の本が「クラウドである」理由は、購入した本をアマゾンが常にバックアップしているとともに、それにドッグイヤーをつけたり、線をひいたり、書き込みをしたりでき、その情報も保存されているという点にあります。つまり「購入した本」という本来固定化された情報を、自分で更新できるしくみがあり、その更新情報がネット上に保存されるという点です。
アマゾンがバックアップしているのは「購入したときのまっさらな本」ではなく、書き込みをした(さらに書き込みができる)「自分の本」なのです。

「自分の本」のベースは、販売されている一冊の本です。だれが購入しようが、同じものと認識できる一冊の本です。
その一冊の本というデータは、論理的には、世界の中でたったひとつあればいいのです。
アマゾンは、その本のデータ(の複製)を売るのではなく、それを「参照する権利」と、データに「自分専用のデータを付加する権利」を同時に売っているのです。
「本を所有すること」ではなく「読書をすること」そのものを売っているのです。

したがって、本がクラウド化されたというよりも、読書体験そのものがクラウド化されたと言うべきでしょう。
これは、本の歴史、読書の歴史にとって、とても大きなできごとです。

このことから、次の未来が見えてきます。
現時点では、「自分の本」たらしめている自分の書き込んだデータは、自分自身だけが参照するものです。自分の読書は、自分だけに閉じられた体験です。

その「自分だけのデータ」を公開できる機能が、いずれ登場するでしょう。
それは、メタファーではない、文字通りの「ソーシャルブックマーク」です。
読書体験の共有化です。
自分が読んだ本を、ほかの人がどのように読んだのか、どこに線をひいたのか、それが分かるようになるのです。

この機能の魅力は強力です。
ぼくがアマゾンなら、知の巨人と言われる人や、政界・財界の重要人物に、下線を引いたりメモをしてもらいながら本を読んでもらい、それを公表させてもらいます。
そうすれば、尊敬する知識人の下線やメモに興味のある大量の消費者を、アマゾンからの購入に惹きつけることができます。同じ本を購入すればそこに下線やメモが書かれている(または書かれていく)のですから、リアル書店はもとより、他のオンライン書店で「まっさらな本」を買う理由がありません。(もちろん、まっさらにして読みたければ、表示をオフにすればよいだけです)※1
また、どのくらいの人がどのくらい線を引いたかということが、本の販売数とは別に、その本のよりリアルな価値を示す指標となるでしょう。

さらに、しおりやマークのメタファーを超えた機能も提供が可能になります。
リンクです。
ある本の特定の行や言葉から、別の本の特定の場所へのリンクを張るのです。
その別の本をすでに購入している人はそのままリンク先が読めます。まだ購入していない人は、そのリンク先の周辺だけが読めるか、あるいは読めなくしておくか、いずれにしても購入が促されます。※2
リンクは著者自身はもちろん、他の人が貼ることもでき、それによるアフィリエイトも可能になるでしょう。

紙に縛られていた情報が自由になる。
このような「紙よりも自由なしくみ」には「紙よりも自由なしつらえ」が重要になります。
単にこれまでの本を読む方法をメタファーにしたUIでは、様々な機能をシームレスに盛り込むのは難しいかもしれません。
このような新しい世界を実現するUIを考えていると、実にわくわくしてきます。

どなたか、こんなビジネスを実行されませんか?
ソシオメディアがUIデザインを担当しますよ。

※1
下線やメモの表示のしかたによっては、現在の著作権法上の同一性保持権にひっかかる可能性もありますが、下線を引いた場所のみの情報やメモのみを提供するならば問題にはなりようがありませんから、微妙なところです。そもそもこのようなしくみによる表現が著作権法で想定されていませんから、許容していく方向になっていくだろうと想像します。

※2
リンク先の著作権者の許諾によって、その部分が読めるようにするか、読めないようにするかを決めることになるでしょう。しかし、今のウェブサイトが外部からのリンクの数によって検索エンジンにおける検索されやすさを獲得しているように、あるいは多くの論文に参照される論文には価値があるとされることが多いように、他の本からの多くのリンクを受け入れる本の方が価値を上げ、より多く販売される結果となるでしょう。そのうえ、著作権者の側でリンクを拒んだり、リンク先の一部を見せないことは、「都合の悪いことがあるんじゃないか」「セコイ」といったマイナスの評価を獲得してしまう可能性もあり、メリットがあまりなさそうです。